利水用 堤高(m) 29.7 堤頂長(m) 130 堤体積 (千立方m) 282 総貯水容量(千立方m) 750
『先人の遺産の上に』
讃岐の歴史はため池の歴史である。古くは「弘法大師」の満濃池改修の平安時代から、江戸時代初期の技術者「西嶋八兵衛」やひょうげ祭りに祭られる「矢延平六」によるため池造り、明治の「大久保甚之丞」の構想が昭和になって実現した香川用水に至るまで、水資源確保に対する多くの人々の苦難と努力とがつむいできた歴史である。
『西嶋八兵衛』は、それまで紫雲山の栗林公園横を流れていた香東川本流を峰山の西側につけかえたり、400年の間も決壊放置されていた満濃池を復旧したり、讃岐の多くのため池を築いたりと八面六臂、まさに讃岐土木史に残るスーパーマン的偉人である。彼の残したため池の一つが高松市の南東部の水を司る『神内池』であった。明治になると周辺の開発でより水需要が増してきたことに伴い上流に上池の築造が計画され、大正時代に完成したのが、この『神内上池』である。当時でも15間(27m)、後年かさ上げされて30mの堤高となったこの堤は、香川のアース式ダムでは第二位。最大の満濃池とほぼ肩を並べる高さである。
400年前の偉人の遺産である下池を継いで新たに設けられた新池も早や築造100年。この池の近辺にも、続く多くの先人の血と汗によって『松尾池』『城池』『公渕(きんぶち)池』からなる通称『四箇池(しかいけ)』が完成し、続いて『坂瀬池』を加えて今では高松市東部の水を一挙に賄う「一大ため池群」となっている。『神内上池』はその最上流にあって、近代から現代に至る讃岐の水と人との苦難の歴史をただただ静かに見守ってきた堤である。
近くのスポット 『四国酒蔵88箇所85番 香龍』 http://sake88.info/index.cgi?Sshop=82 『四国温泉88箇所83番 仏生山温泉』 http://onsen88.info/index.cgi?Sshop=100
判子のありか 「ひとこと欄」参照
ダム便覧 http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2153
最近、禁止された堰堤で釣りをしたりゴミを捨てたままにする行為が後を絶たないようです。みんなの水です。敬って見学しましょう。
|
「神内池南の花の寺『勝名寺』より西へ200mの橋をたもとを上流へと遡る。すぐに左折して一本道の舗装路をひたすら走ると天端に出る。」
神内池南の花の寺『勝名寺』より西へ200mの橋をたもとを上流へと遡る。すぐに左折して一本道の舗装路をひたすら走ると天端に出る。
「田畑の向こうに堂々たる堤が姿を見せる。」
田畑の向こうに堂々たる堤が姿を見せる。
「天端部分は典型的なため池の堤。」
天端部分は典型的なため池の堤。
「静観とした池。普段は人影もまばらである。」
静観とした池。普段は人影もまばらである。
「下流の神内池。この水は春日川となり屋島の麓で新川と合流する。(すべての画像はクリックすると拡大します)」
下流の神内池。この水は春日川となり屋島の麓で新川と合流する。(すべての画像はクリックすると拡大します)
|