治水・利水・発電用 堤高(m) 106 堤頂長(m) 400 堤体積 (千立方m) 1187 総貯水容量(千立方m) 316000
『巨大ダムによせて』
もう今更、私ごときが何を説明するまでもない、全国的にも有名な四国を代表する大ダムである。通り名は「四国の水がめ」。ここが枯れるときは「四国最後の日」である。スペックも重力式ダムとしてはどれをとっても四国最大。堤体積こそ根本的な構造の違いでロックフィル式ダムの『稲村ダム』と『魚梁瀬ダム』に譲るが、堤高100メートル超はここだけ、堤項長(いわゆる横の長さ)も400メートルはここだけ、総貯水容量に至っては二位の『魚梁瀬ダム』の3倍である上、そもそも3位以下は桁がひとつ違う。まさに別格、「私は誰の挑戦でも受ける」状態の孤高の王者である。
巨大なダムの下流は広大なコンクリート舗装スペースになっていて地元のイベント広場を兼ねている。ダム自体も観光地の仲間入りをしており、休日には県外からの観光客が後を絶たない。両サイドは常に清掃されていて右岸(下流に向いて)側はダムの案内表示をかねた駐車場、左岸側は建造に際しての慰霊碑が建つ静かな公園となっている。竣工から既に30年、地元にとっても四国にとっても早明浦ダムはどんどん身近なものになっているのであろう。
早明浦ダムには、管理者の水資源機構さんによってライブカメラが完備されており、全国どこからでもダムの状況がネット上でリアルタイムで見ることができるようになっている。 http://www.ikesou.jp/ 私などは一度、このカメラで、数十日間に渡る異常渇水で枯れていた巨大ダムの水位が、たった一個の台風一過のわずか半日間でみるみる回復していくのを目の当たりにして、自然の力に大いに感銘を受けたものである。考えてみれば、現代土木技術の粋を集めて建造したこんな大きな構築物も、それをはるかに凌ぐ自然の力があってこそのものであり、人間は自然に対していつも敬虔な心を忘れてはならないのであろう。一部ではダムは人が自然を制御する象徴として捉えられることもあるが、このことひとつを見ているだけでも、人にとってダムをつくることの意味について考えさせられること多数である。この四国堰堤88箇所の一連の巡礼をとおして、「人が自然を押さえつける」のではなく「人が自然とともに生きる術」として、ダムとそれに関わる方たちの心に触れて勉強させていただいているところが大きい。また皆さんにも、身近でダムに触れてみて、そんな想いをめぐらせるきっかけになって頂ければ、とてもうれしいことである。
近くのスポット 『四国酒蔵88箇所31番 桂月』 http://sake88.info/index.cgi?Sshop=29
判子のありか 「ひとこと欄」参照
ダム便覧 http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2322
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「ダム下流側の広場は大きすぎて、いろいろな屋外展示会に使われるコンベンションスペースである。(画像をクリックすると拡大します)取材時もカヌー乗りの一団が艇を降ろしていた。遊び人Mさんや手下N尾の格好の遊び場でもあるらしい。」
ダム下流側の広場は大きすぎて、いろいろな屋外展示会に使われるコンベンションスペースである。(画像をクリックすると拡大します)取材時もカヌー乗りの一団が艇を降ろしていた。遊び人Mさんや手下N尾の格好の遊び場でもあるらしい。
「100メートルというと、ゴジラの身長、ウルトラマンの2倍、マジンガーZの4倍であるので怪獣映画でも絵にならない。これを壊せば彼らでも逆に確実に何キロも流されることになる。(笑)」
100メートルというと、ゴジラの身長、ウルトラマンの2倍、マジンガーZの4倍であるので怪獣映画でも絵にならない。これを壊せば彼らでも逆に確実に何キロも流されることになる。(笑)
「ダムからの下流の眺めは町を見渡すタワー展望台である。」
ダムからの下流の眺めは町を見渡すタワー展望台である。
「ダムの空撮図(ラジコン仙人撮影)」
ダムの空撮図(ラジコン仙人撮影)
「2005年の渇水時に出てきた旧大川村役場。よく「渇水の象徴」のように報道されるが、実はダム建設が決まった後に湖面すれすれに造られたで建物あり、これが出てもまだまだどうして大丈夫である。(画像をクリックすると拡大します)」
2005年の渇水時に出てきた旧大川村役場。よく「渇水の象徴」のように報道されるが、実はダム建設が決まった後に湖面すれすれに造られたで建物あり、これが出てもまだまだどうして大丈夫である。(画像をクリックすると拡大します)
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